認定NPO法人 クラーク会

クラーク博士 別れの言葉 ”Boys, be ambitious!” の
真意を伝えるために 馬上の像の建立を!

本会は、ウイリアム・スミス・クラーク博士と中山久蔵翁の業績を称え、その活動の足跡や精神を広く伝えるとともにその遺徳を末永く私たちの記憶にとどめるため、学生たちとの別れの地、島松沢にクラーク博士馬上像を建立することを目的に設立されました。

札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭クラーク博士は明治9(1876)年に来道から滞在期間は8ヶ月と短かったものの、博士の燃える教えは前途有為の学生たちの側に強烈なインパクトと生涯にわたる克己の心を残しました。そして、明治10(1877)年4月16日アメリカへの帰国の際に、見送りの学生や職員たちと別れた場所が、現在の「国指定史跡 旧島松駅逓所」のある北広島市島松沢です。この地で、博士は”Boys, be ambitious!"の名言を残し、馬に乗って旅立ちました。博士は、” Be Gentleman"という言葉も残しており、これらの言葉は博士の教育精神の根幹を現していると言われます。博士の教育の信念は、教え子たちに大きな影響を与え、のちに日本の近代化に大きな貢献をすることとなる多くの若者たちを輩出しました。

ウィリアム・S・クラーク氏
また、島松沢は寒冷地稲作の発祥の地でもあります。明治初め頃は、北海道南部に比べて気温の低い中央部では稲作は困難と言われていましたが、中山久蔵翁は寒さに強い「赤毛」を見出し、多くの工夫と努力により明治6(1873)年に初めて収穫に成功しました。
 その後、久蔵翁は自ら生産した「赤毛」の種もみを北海道各地に無償で配布するとともに栽培指導を行い、稲作の普及に務めたのです。『クラーク先生とその弟子たち』大島正健(札幌農学校第一期生)著(1937年)には、「クラーク博士は、中山久蔵氏の家に入り休憩したあと、教え子たち一人ひとりと握手を交わし、ひらりと馬背に跨り、”Boys, be ambitious!"と叫ぶなり長靴を馬腹にあて、雪泥を蹴って疎林の彼方へ姿をかき消された」と記されています。
 久蔵翁は農業の傍ら、明治30(1897)年の駅逓所廃止まで取扱人を務めており、この地はクラーク博士の思い出の地であるとともに、北海道の開拓を知る貴重な場所でもあります。
中山久蔵翁
中山久蔵翁
北大150周年記念バナー

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