伊藤 一隆
1859.4.15 | 江戸にて商人の四男として生まれる |
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1876.8.2. | 札幌農学校一期生となり、札幌最初の受洗者としてクラーク公邸で英国聖公会教師・デニングによりクラーク立ち合いの下行われたジョK伊藤というクリスチャンネームでクラークに愛された(大島正健の妻ちよ子は実妹)水産学を農学校でカッター博士に学ぶ |
1880.7.10. | 一期生として開拓使御用掛として採用 水産課勤務 |
1884 | 北海道水産協会の指導者として活躍 |
1886 | 漁業事情調査のためアメリカに渡りさけ・ますふ化技術を習得帰国後水産課初代課長となった |
1887 | 帰国するや鮭鱒ふ化事業を開始し、千歳ふ化場設置を進めた |
1894 | 水産協会は水産庁の秩序ある教育の必要性を訴え水産伝習所の設立計画を訴えた 1905年北海道庁立水産学校が札幌に設立漁区の再編など漁民たちが互いの主張をして暗礁に乗り上げた際に人心を掴んだのはクラークによるキリスト教精神の賜だったと後に大島正健は述懐している |
1929.1.5 | 逝去 69歳 タレント中川翔子は母方の玄孫にあたる |
