認定特定非営利活動法人
クラーク博士別れの地・久蔵の里普及促進会

D・パース・ペンハロー

1854.05.25 メイン州キタリー・ポイント生
1869 マサチューセッツ農科大学入学(3期生)
1876.06.29 クラークと共に来日
1876.07.31 札幌着任(化学・植物学・英語担当)
化学実験室で土壌成分分析や石鹸・蝋燭・マッチ・皮革の製造実験を行う
また、在任中野球の道具を作り学生たちに教えたとされる(NPO法人北海道野球協議会HPによる)
1879.12.19 ホイーラー帰国後更に6か月雇用延長 教頭心得となった
1880.07 妻の病気のため帰国しニューヨーク州の農事試験場研究員を務める
1883 カナダモントリオールのマギル大学の植物学講師に就任
1885 同校教授に昇進
1907.10 マサチューセッツ農科大学創立40周年記念「クラークホール」の落成式のスピーチでクラークの日本での活躍を称えた
この中で札幌農学校の卒業生の活躍を「非常に進歩的で頭が良く優れた知的能力をもつ洗練された学生たち」と賞賛した
出典:北海道を開拓したアメリカ人』(藤田文子著)