認定特定非営利活動法人
クラーク博士別れの地・久蔵の里普及促進会

内村 鑑三

1861.3.23 江戸小石川で高崎藩士の長男として生まれる
1874.3 東京外国語学校編入学
1877.7 札幌農学校2期生として入学
1881.1 大島正健らと教会建設委員となる(後の札幌独立基督教会)
1881.7 札幌農学校を首席で卒業、開拓使民事局に勤務
1883.12 農商務省水産課勤務
1885~87 アマースト大学入学 シーリー総長や元札幌農学校クラーク教頭に会う
1888 帰国後新潟の北越学館で教鞭を執る
1890.9 第一高等中学校(後の第一高校)の嘱託教員となる
1891.1.9 同校教育勅語奉読式で「不敬事件」勃発、世間の非難を浴びる
同校辞職
1897 朝報社の黒岩涙香(一期生黒岩四方之進の実弟)に招かれ『万朝報』記者となる
一旦退社するも客員記者としてその後も寄稿を続ける
1901.4 足尾銅山の『鉱毒地巡礼記』 を『万朝報』 に連載、社会的不義を糾弾
1926.5.13 北海道帝国大学創基50周年記念式典挙行 クラーク像が建立された
1928.6 受洗50年を記念し新渡戸・広井らと青山墓地へハリスの墓参
1930.3.28 逝去70歳
出典:『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著)