湯地 定基(ゆち / ゆじ さだもと)
1843.9.4 | 鹿児島にて薩摩藩士の長男として生まれる |
---|---|
1870.9. | 藩命によりマサチューセッツ農科大学に留学を命じられ、クラーク学長の薫陶を受け農政学を学ぶ |
1872.1.7. | 黒田清隆に開拓使出仕 ケプロンらの外国人顧問の通訳にあたる |
1875.2.4 | 七重開墾場に勤務 クラークは着離任時に湯地の許を訪ねる(76・77年) |
1878.7 | 七重勧業試験場長 アメリカからリンゴや馬鈴しょの原種を導入し栽培に成功 これが男爵薯発祥の地となるきっかけとなった |
1882.2.8 | 開拓使廃止に伴い根室県令(知事)に命ぜられ赴任、馬鈴しょの栽培を奨励し後に「いも判官」と呼ばれた 漁業・水産業にも尽力、現在でも根室市には定基(さだもと)町として地名が残る |
1886.12.28 | 三県廃止に伴い北海道庁本庁勤務 翌年にはドイツ・アメリカへ出張を命じられ植民政策や農業政策を学び1889年に帰国 |
1890.6.12 | 道庁を辞め元老院議官に転じる |
1891.12.22 | 貴族院議員に勅選される |
1893 | 北海道農業への思いは断ちがたく栗山町に土地を取得し農場経営にあたる 洋式機械を使って開墾をすすめ成功する |
1928.2.10 | 東京にて逝去 86歳 |
