北海道大学
北海道大学(札幌市北区北8条西5丁目)
ホームページ:https://www.hokudai.ac.jp/
現在の北海道大学は、1876年に開校しクラーク博士が初代教頭を務めた札幌農学校が前身となっています。ここでは明治初期の開拓に携わる技術者の養成のための学校創設とそれにつづく札幌農学校の設立に関わった人々の活躍とその後の北海道大学の発展のあゆみを見てみましょう。

明治2年(1869)に開拓使が東京に設置され、明治3年(1870)に黒田清隆が開拓使の次官に就任しました。黒田は、アメリカ農務局長であったホーレス・ケプロンを開拓顧問として招聘しました。ケプロンは、明治4年(1871)に農学校の開設を建言しました。また、ケプロンと共に招聘されたトーマス・アンチセルも「北海道術科大学校」設立の意見書を提出しています。黒田は、こうした顧問の意見をもとに明治5年(1872)1月に技術者養成を目的とした学校設立を企画し、とりあえず東京に仮小学を設けることを政府に提案しました。
同年3月には「開拓使仮学校規則」が定められ、同校設置の目的が開拓技術者の養成にあることなどが決められ、翌4月15日に東京芝増上寺本坊に仮学校が開校しました。仮学校の定員は、官費生・私費生各50人で、14歳~20歳の者を募集したところ、開校までに300人以上が応募し、80人以上が生徒となりました。しかし、翌6年(1873)3月に同校はいったん閉鎖され、「開拓使仮学校則例」を定めた上で、翌4月に生徒数を大幅に減らして再開校されました。明治8年(1875)には札幌移転が決定し7月に「札幌学校」と改称し、8月に職員・生徒は札幌に移って9月に開業式を挙げたのです。

「開拓使仮学校則例」では2年後に専門科を設置することとされており、明治7年(1874)に調所広丈校長の名で黒田長官あてに開設願が提出され、これによって農業専門科の設置が決定しました。これに基づいて教科科目、教師、経費等の検討が行われ、教師についてはマサチューセッツ農科大学の現職学長であるウィリアム・スミス・クラーク博士を一年契約で教頭として招聘することとなり、さらにクラーク博士の推薦で教え子のウィリアム・ホイーラーとダビッド・P・ペンハローが同時に雇い入れられました。クラーク博士は、明治9年(1876)8月から教頭として、植物学や英語などを教授しました。
一方、札幌学校および東京英語学校、東京開成学校生徒を対象に入学試験が行われ、合格者のうち24人が入学することとなりました。この中に後に北海道の開拓や学術研究、教育に貢献した大島正健や伊藤一隆、佐藤昌介、内田瀞などがいました。なお、第1期本科生が卒業したのは明治13年(1880年)7月です。明治14年(1881)7月には、本科第2期生の新渡戸稲造や内村鑑三、宮部金吾、廣井勇、南 鷹次郎などが卒業しています。
専門科の開校式は明治9年(1876)8月に札幌学校で行われ、その際、黒田清隆は欧米の科学的農業を摂取して、北海道のみならず日本全国への普及が必要であると、同校を日本の新しい農業の研究・普及の中心として位置づけ、またクラーク博士は学生達に節制を守り、勉学に励み、社会的に重要な役割を果たす人材たれと訓示しています。札幌学校は、9月8日付で正式に「札幌農学校」と改称されました。

クラーク博士が札幌農学校教頭として学生を指導したのは8カ月半ほどでしたが、校則的なものは定めず、学生達には”Be gentleman”という指針を示すと共に、精神的・思想的な強い影響を残しました。博士が札幌を去ったのは明治10年(1877)4月16日で、現在の北広島市島松沢の駅逓所で学生や職員と別れを惜しみ、馬で函館に向かいました。博士は別れ際に“Boys, be ambitious!”の言葉を残したことは広く知られており、北広島市は「クラーク博士が『ボーイズ・ビー・アンビシャス』の名言を残したゆかりの地」としてその史実を大切にしています。
博士の離任後は、W.ホィーラーが教頭に就任し、明治12年(1879)まで務めたのち、D.P.ペンハローが教頭心得に就任し、明治13年(1880)8月に離任しています。その後、ホーレス・E・ストックブリッジ、ミルトン・へート、アーサー・A・ブリガムなどが雇い入れられています。札幌農学校には本科(専門科)入学のための予備教育機関として予科・予修が設置されています。
札幌農学校は、明治40年(1907)には東北帝国大学設置の勅令が公布され、札幌所在のまま予科を付設した東北帝国大学農科大学となりました。その後、大正7年(1918)、北海道札幌区に「北海道帝国大学」が設置され、東北帝国大学農科大学が北海道帝国大学農科大学となりました。翌年には、北海道帝国大学農科大学は北海道帝国大学農学部と改められ、新たに医学部が設置されました。
戦後、昭和22年(1947)に法文学部を設置され、10月に北海道大学へと名称が変更されました。昭和24年(1949)には、学制改革により旧制専門学校である函館水産専門学校を包摂して新制大学となり、法文・教育・理・医・工・農・水産学部が設置され名実ともに総合大学が誕生しました。法文学部は分・法・経済の三学部に分離し、昭和27年(1952)には獣医学部が、昭和40年(1965)には薬学部が、昭和42(1967)には歯学部が設置されています。

平成16年(2004)に国立大学法人法の規定により国立大学法人北海道大学となりました。
平成22年(2010)には、鈴木章名誉教授がノーベル化学賞を北大出身者として初めて受賞しています。
北海道大学は、1876年開校の札幌農学校から、帝国大学、新制国立大学の時代を経て、令和8年(2026)に創基150周年を迎えます。現在、これを記念して各種の記念事業が計画されています
(https://150th.hokudai.ac.jp/overview)
参考資料:
- 「資料でたどる北海道大学の歴史」北海道大学150年史編集室
https://www.hokudai.ac.jp/bunsyo/hu150_chronology_1869.html - 札幌市教育委員会編『新札幌市史デジタルアーカイブ』札幌市(平成3年)
https://adeac.jp/sapporo-lib/top/