認定特定非営利活動法人
クラーク博士別れの地・久蔵の里普及促進会

山梨県甲府第一高等学校

山梨県立甲府第一高校(山梨県甲府市美咲2-13-44)
ホームページ:https://www.first.kai.ed.jp/

 クラーク博士の教えを受けた札幌農学校第一期生の大島正健が第7代校長を務めたのが山梨県立甲府第一高校です。
 甲府第一高校は、寛政年間(1789年~1801年)に甲府城南に設置された甲府学問所を発祥とする官学徽典館が前身で長い歴史を持つ伝統校です。明治13年(1880年)10月23日に山梨県師範学校内に中学校が併設され、この日が現在の第一高校の創立記念日となっています。その後、師範学校は徽典館と改称され、明治20年(1887年)には徽典館中学科は山梨県尋常中学校に改称されています。
 ここでは、クラーク博士から直接教えを受けた大島正健とその教え子の石橋湛山の足跡を通して、山梨県立甲府第一高校の歩みを紹介します。現在の甲府第一高校については、同校のホームページ(www.first.kai.ed.jp/)に詳しく掲載されています。

山梨県立甲府第一高校
大島正健と山梨県立第一中学校

 大島正健は、相模国高座郡中新田村(現在の神奈川県海老名市)の名主、大島彦三郎正博・縫子の四男として生まれ、明治6年(1873年)に東京・牛込若宮町の私立の英語学校、逢坂学校に遊学しました。この学校に飽き足らず1年ほどで官立東京英語学校(後の第一高等学校)に進学し、1876年に開拓使札幌学校農学専門部(旧札幌農学校の前身)に第1期生として入学しました 注1)
大島は、旧札幌農学校でクラーク博士から直接教えを受けた後、京都の同志社普通学校、私立奈良尋常中学校で教鞭をとり、明治34年(1901年)に山梨県立甲府第一高校の前身である山梨県尋常中学校の第7代校長に就任しました。尋常中学は、大島の就任の5日後に、山梨県立第一中学校に改称され、明治39年(1906年)には山梨県立甲府中学校に改称されています。

 大島は大正3年(1914年)8月31日まで校長を務めましたが、この時期は日露戦争や植民地化の進展、世界大戦などが勃発するなど決して平和な時期ではありませんでした。この間、明治37年(1904年)に日露戦争が勃発し、翌年には日露戦争の講和条約であるポーツマス条約が締結され、1906年にはロシアから譲渡された長春・旅順間鉄道などの経営のために南満州鉄道株式会社(満鉄)が設置されました。これによって満州植民地化の国策が推進され、明治43年(1910年)には、日本は韓国を併合し朝鮮朝鮮総督府を設置しています。その後、大正3年(1914年)には日本は第一世界大戦に参戦しています。

大島正健、東洋経済新報社「石橋湛山写真譜」より

 こうした時期に、大島は13年5カ月にわたり生徒たちにクラーク博士の精神に基づいた教育を行っています。その教育内容の一端が、浅川保著『石橋湛山』(2015年)に大島が発表した論説について次のように紹介されています。
 《「いやしくも、身の独立を助け、世の公益を進むるに力を与うる業ありとせば、其職の如何に関せず、其道に尊卑の別あるべきことなし」とし、さらに「労働は決して愧(は)づべきものに非ず。青年有為の士は宜しく偏(ひとえに)に労働を重んずべし」(1901年12月発行の『校友会雑誌』に所収)と説いている。プロテスタントキリスト教の職業観に基づく勤労のすすめであり、格調高い内容である。》注2)
 その後、山梨県立甲府中学校は、第2次世界大戦後の昭和23年(1948年)の学制改革に伴い、現在の山梨県立甲府第一高等学校に改称され、全日制、定時制、通信制、および併設中学校が設置されました。

大島校長から強い影響を受けた石橋湛山

 甲府第一高等学校からは有名な文化人や政治家、学者などを数多く輩出しています。そのなかでクラーク博士との関係が深い人物として、昭和31年(1956年)に総理大臣を務めた石橋湛山がいます。
 石橋は、大島正健校長から薫陶を受けたのはわずか1年でしたが、「其の一年間に、いまだかつて知らざる強き感銘を受けた。其の感銘は私の一生を支配した」(「大島先生と香南先生」山梨県立甲府中学同窓会報第1号)と述べており、大島校長から強い影響を受けました注3)。言うまでもなく、大島校長は札幌農学校でクラーク博士から精神的・思想的な影響を強く受けており、石橋もクラーク精神を受けついでいると言って良いでしょう。
 現在の高校の庭には、石橋湛山の揮毫による「Boys,be ambitious!」と「青年奮起して功名を立てよ 馬上の遺言熱誠籠る 別路春寒し島松の駅 一鞭直ちに蹴る雪泥の行 クラーク先生を憶ふ 大島正健」の言葉が石碑に刻まれています 注4)。

出典:国立国会図書館「近代日本の肖像 www.ndl.go.jp/portrait/datas/383/
石橋湛山揮毫による石碑:『山梨県甲府第一高校創立140周年記念』誌より
山梨県立甲府中学校に始まる「校是」

 甲府第一高校の校是として、次の目標が掲げられています注5)。これらの目標の幾つかは、クラーク博士の教えが色濃く反映されたもので、博士の教育精神を受け継ぐものとしては他に類をみないものです。また、若者の目標として「Boys be ambitious(少年よ大志を抱け)」や「Be Gentleman(紳士たれ)」を明確に掲げることは、ややもすると目標や規範の意識が薄くなりつつあるなかで、目指すべき方向を示す助けにもなっています。

  • 「Boys be ambitious(少年よ大志を抱け)」
    第7代校長大島正健が提唱。札幌農学校を去るクラーク博士から、大島校長が直接聞いた言葉である。これを受けて設定された教育目標が、「1.高遠な理想のもとに、平常の実践に努める」ことである。
  • 「賛天地之化育(天地之化育を賛く)」
    第10代校長江口俊博が提唱し、そのレリーフが本館の正面玄関に掲げられた。出典は『中庸』。「天地万物の生み育てる力を賛助する。」の意。これを受けて設定された教育目標が、「2.自然の法に遵い、人間愛に生きる」ことである。
  • 「苟日新 日日新 又日新(苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり)」
    江口俊博校長が提唱。出典は『大学』。殷の湯王が用いた盤(洗面器)の銘文である。日々の努力を怠らぬように戒めたもの。これを受けて設定された教育目標が、「3.日に新たに、真理を探究する」ことである。
  • 「Be Gentleman(紳士たれ)」
    大島正健校長が提唱。本来は、クラーク博士が設けた札幌農学校唯一の校則である。
甲府第一高校講堂に掲げられた「Boys, be ambitious!」の額:揮毫 石橋湛山

注1) フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/大島正健を参照
注2) 浅川保『偉大な言論人 石橋湛山』山日ライブラリー(2015)p.33を参照
注3)『山梨県立甲府第一高等学校創立140周年記念誌』を参照
注4)フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/山梨県立甲府第一高等学校を参照